元は室町時代に今川氏の拠点となっていた場所ですが、戦国時代には武田氏が侵攻し、その後徳川家康が領有することとなり、近世城郭として築城し直されました。
その後、家康の関東移封などもありましたが、江戸時代初期に家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居し、駿府城は天下普請によって大修築され、3重の堀を持つ輪郭式平城となりました。
1616年(元和2年)に駿府城で家康が没するまでの大御所政治時代、駿府は江戸と並ぶ政治・経済の中心地として大いに繁栄し、その後も駿府は江戸幕府直轄(天領)となり、駿府城代が置かれました。
明治維新後に廃城となり、建造物は撤去され、堀も埋められましたが、現在は「駿府城公園」として整備が進んでおり、巽櫓や東御門、二ノ丸坤櫓が復元されています。
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