1585年に豊臣秀吉の四国征伐において勲功のあった蜂須賀家政が阿波の地を与えられ、現在の徳島城を築城し、その後も江戸時代を通じて蜂須賀氏の居城となり、徳島藩の藩庁が置かれました。
城域は、吉野川河口付近の中洲に位置する標高61mの城山に築かれた山城と、城山の山麓周囲の平城からなる連郭式の平山城で、明治維新後は廃城となり、主要な建造物は破却されましたが、現在は「徳島中央公園」として整備されており、城山の石垣や堀周辺の石垣はよく残っています。
城山の頂上部にあたる本丸跡からは徳島市のシンボルである「眉山」もキレイに見えます。
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