江戸時代初期に「関ヶ原の戦い」の戦功で筑前国52万3千石の藩主となった黒田氏によって築城され、福岡藩の藩庁が置かれました。
それまでこの地は福崎と呼ばれていましたが、黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市付近)にちなみ「福岡」と改められました。
明治維新後の廃城令によって、47の櫓を擁した福岡城も多くの建物が撤去されましたが、多聞櫓と二の丸南隅櫓(この二つの建物は連結しています)が現存しており、国の「重要文化財」に指定されています。
また潮見櫓や大手門、祈念櫓も移築や改修を経て現存しています。
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