中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築きました。
「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる壮大な石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが建てられていました。
明治維新後もしばらくは大半の建物が現存していましたが、西南戦争で天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失しました。
しかし宇土櫓などいくつかの建造物が現存しており、国の「重要文化財」に指定されているほか、1960年(昭和35年)には大小天守が外観復元され、その後も本丸御殿や数棟の櫓が復元されています。
もちろん「日本百名城」に選定されているほか、桜名所としても有名で「日本さくら名所100選」にも選ばれています。
|