相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり同じ一族がこの地に在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁が置かれていました。
市内中央部を流れる「日本三大急流」である球磨川の南側に位置し、球磨川とその支流胸川の合流点の山に築かれており、北側と西側は球磨川と胸川を天然の堀とし、東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として、巧みに自然を利用しています。
明治維新後に廃城となり、明治10年(1877年)に起こった西南戦争では西郷隆盛軍の拠点となり戦闘が行われ、このときに建造物もほぼ全焼しました。
現在は人吉城公園として整備され、隅櫓や大手門脇多聞櫓が復元されています。
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