岡城は、標高325mの天神山の上に築かれた山城で、切り立つ台地に、さらに積み上げられた高石垣の上に築城されました。
戦国時代には島津の大軍が岡城をおそい、志賀親次という武将の指揮のもと、再三にわたり島津軍を撃退し、親次はその功績から豊臣秀吉より褒状を受けたという逸話が残されています。
その後、安土桃山時代に中川秀成によって大規模な拡張工事が行われ、現在の形となりました。
明治維新後に廃城となり、建造物は全て破却されてしまい、現在残っているのは高く積み上げられた石垣のみですが、まるで「天空の城」といってもよいぐらいの壮大な石垣が見られます。
また、多くの桜が植えられた桜名所となっており、「日本さくら名所100選」にも選定されています。本丸跡からは「日本百名山」である九重連山も展望でき、岡城をイメージして「荒城の月」を作曲したといわれる滝廉太郎の銅像もあります。
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