戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡で、一乗谷城(山城)と山麓の城下町(居館)からなります。
一乗谷は、三方を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群でした。
しかし、1573年に織田信長との戦いに敗れ、一乗谷はことごとく焼き払われ、往時は1万人もの人口を擁し栄華を誇った街は灰燼に帰しました。
現在は、史跡公園としての整備が進められており、一乗谷の中心部に位置する朝倉館跡は土塁と堀で囲まれた遺構がよく残っており、江戸時代中期頃に再建された唐門は遺跡のシンボル的な存在です。また、当時の町並が約200メートルにわたり復元されています。
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