秀吉の死後、豊臣秀頼が大阪城に移ると、代わって徳川家康がこの城に入り政務を行いました。
1619年に廃城となり、建物や部材は、二条城、淀城、福山城などに移築されました。伏見城の後には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられ、桃山と呼ばれるようになり、やがて伏見城は桃山城、あるい伏見桃山城と呼ばれるようになりました。
1964年(昭和39年)に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、園内には洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして5重6階の大天守と3重4階の小天守、櫓門などを伴った模擬天守が鉄筋コンクリート構造で造られました。
現在、遊園地は閉園しましたが、模擬天守は伏見のシンボルとして保存されることとなり、敷地を含めて「伏見桃山城運動公園」として整備されています。
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