明治維新の移行期に薩摩・長州を中心とした明治新政府と、旧徳川幕府軍が、京都の南、鳥羽・伏見で激しい戦い(戊辰戦争)を繰り広げており、京都に近く、山陰や大阪への交通の要所でもあった園部は、御所が攻められそうになった場合に速やかに明治天皇をお迎えし、幕府と戦う体制を整えておく必要がありました。
そこで、明治元年に園部陣屋が拡張され、園部城へと昇格することになりました。
結局、園部が戦場になることはなく明治5年に廃城となりましたが、巽櫓や櫓門が現存しており、現在は天守を模した「南丹市国際交流会館」が城内に建っています。
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