岡山城の天守閣の外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれます。戦国時代に宇喜多氏が近世城郭へと拡張整備しましたが、「関ヶ原の戦い」で西軍の主力となったために流刑となり、代わって小早川秀秋が城主となりますが2年後に急死し、その後池田氏が引き継ぎました。
明治維新後に廃城となり御殿・櫓・門の大半が取り壊され、さらに太平洋戦争の空襲で天守を焼失しました。現在は「烏城公園」として整備されており、天守は鉄筋コンクリートにて再建され、江戸時代から現存する月見櫓・西之丸西手櫓は国の「重要文化財」に指定されています。
天然の堀の役割を果たした旭川と共に、天守・月見櫓を望む景観が素晴らしく、「川面に映える漆黒の金烏城」というキャッチフレーズが使われています。
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