戦国時代までは新発田氏の居城でしたが、安土桃山時代(1581年)に上杉景勝に対して反乱を起こした結果、新発田城は落城し、新発田氏は滅亡しました。
その後上杉氏の会津転封に伴い、溝口氏が入封し、新発田藩が成立しました。江戸時代を通じて溝口氏が代々藩主を務めましたが、明治維新後の廃城令によって、城内のほとんどの建物は取り壊されました。
しかしながら、「表門」と「二の丸隅櫓」は破却を免れ、新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現存する城跡となっています。
新発田城に天守はなく、本丸の北西隅に3重櫓を上げて「三階櫓」と呼び、実質的な天守の役割を果たしていました。三階櫓は明治維新後に破却されましたが、2004年(平成16年)に復元され、また同時期に「辰巳櫓」も復元されました。
新発田城には明治維新後に陸軍が入り、その名残りで現在も自衛隊の駐屯地となっています。そのため見学できるエリアは一部に限られますが、見ごたえは十分あります。
表門から城内に入ると庭園となっており、辰巳櫓の中は見学できます。
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