「日本三大夜桜」として、ライトアップされた夜桜も有名ですが、昼間には百名山である「妙高山」も遠望でき、どの時間に訪れても見ごたえのある桜名所です。
高田城跡には、三重櫓が復興されているほか、堀沿いの桜並木の景観も素晴らしいです。
高田城は、江戸幕府が全国の諸大名に命令して築かせた天下普請による城の一つで、徳川家康の六男、松平忠輝の居城として造られ、城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗が務めました。
創藩当時の高田藩は越前福井藩と共に、加賀前田藩を挟むような形で押さえ込む配置となり、幕府にとって重要な位置づけとされていました。
その後、松平忠輝の改易や越後騒動など相次ぐ事件の舞台であったことなどによって、高田藩は負のイメージを抱かせるものとなり、江戸中期以降はしばしば親藩、譜代大名で不始末を犯した大名の懲罰的な転封先、いわば「座敷牢」のような位置づけが強くなりました。
高田城に天守はなく、3重3階の三重櫓を建てて天守の代用としていましたが、何度か倒壊・焼失しており、現在の三重櫓は1993年に復興されたものです。
三重櫓は、内堀の南東の隅にあり、三重櫓の中も見学できますし、堀の対岸から桜と共に眺める三重櫓の景観は、高田公園のハイライトの一つです。
外堀(西堀)に架かる西堀橋もビューポイントで、桜並木の奥に残雪の妙高山がそびえ立ちます。
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