越後平野では古くから川の水面よりも低い土地がかなりの面積を占め、度々大規模な水害に襲われていました。洪水被害を防ぐべく、江戸時代後半から何度も分水路の建設が請願されましたが、なかなか起工に至らず、その後明治時代になってようやく着工されますが、諸所の事情から工事は難航を極め、最終的に1931年(昭和6年)にようやく完成しました。
この「世紀の大事業」といわれる大河津分水路工事の完成を記念して、約10kmにわたり植えられたソメイヨシノが堤防沿いに咲き誇り、現在は新潟県を代表する桜名所の一つとなっています。
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